ぬばたま
手折れぬはちすは、白妙の。 神の花弁を、あけに染め。
DATE: 2008/04/29(火)   CATEGORY: 独語り録
【お題】神勅せよ、神奈備に坐せ


厳島の社殿にあって尚、宗像の三女神の手助けを得られると言えどもことさら、……かつての神々にはもう見放されたものだと思い込んで久しい。何せ、もう十年近くもその御名さえ忘れ去り、かれらのためになんの祀りも行っていない。祝詞も捧げていない。帰神もない。
だいいち、祀りを乞う神勅さえ届きはせぬのだから――今更、水鳴であったときの如くに神々に求められているなどとは思えない。
刃を握りこむようになったのは、よもやその反動だろうか。
いくさを彷徨うのは、今もなお黄泉国の…死の匂いがなつかしいからなのだろうか。


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ごう、と横様に打ち振るった比礼に数人がなぎ倒された手ごたえがあったが、失速したそれを一人に掴まれよろめいて砂土の上をころがる。先刻打ち落とした侍の腕に躓きかけながら、横合いより振り落とされる野太刀から紙一重に身を翻す。

「妾ひとりにこの人数とは、全く、――…恐れ入る」

細い月の夜である。今中天には厚い雲がかかり、おそるべき暗湿さでもって刺客たちの姿を覆い隠していく。闇にからめとられていく敵の数は多い。小娘相手の屈辱に、二の轍を踏みたくはないのだろうが過剰なほどだ。…息が切れた。もう、小太刀の刃が脂にぬるんでいる。
泣き出す気にこそならぬとはいえ――ふかい闇の中を敵ばかりに囲まれ、たった一人でいつまでも立ち回りを続けていられるほど、白蓮の精神は強靭ではない。

焦るほど気配を探る気力もままならず、背筋を冷や汗が伝う――…こんなところで、討たれてなるものか。
ああ、こんなことは、前も考えた事がある。道順は何と言うていたか…
――神の寵とは、妄りに頼るべきでも甘えるべきでもあらぬと。
――しかし、かれらの慈しみより目をそらして耳を塞ぐは、もって巫覡の為すにあらずと。

ああ、まだ、妾に応じてはくれるものだろうか。
…けれど、そうかんがえたとたん、歓喜に似た波動がどうっと胸のうちへ押し寄せた。これは妾の心か?かれらの心か?ああ、われを失いそうになる。ひかり。目もくらむほどの光が。星さえ見えぬ闇の中だというのに。見えぬのか、きゃつらには――…

《三ツの輪は》

真ッ暗闇の帳に白く浮き上がる娘の姿は、一言を響かせるとふいに羽袖をひらめかせて舞うのをやめた。

《清く浄きぞ唐衣 くると思ふな。とると思はじ。……》

胸の前に両手に結ぶこの印を、《鎮魂印》という。
ただし、人差し指のみを立て残りを組むこの印を伊賀では《臨》と呼ぶ事の方が多かろう。娘がその名を意図しないのは生まれながらの巫祝の血筋の所為かも知れぬ。

とにかく、囲い込んだ五人ばかりの兵法者が刃を手に手に、抗い逃げ惑う事をやめ覚悟を決めたかにも見える白衣の娘に太刀を振り下ろす無慚。視線すら動かさず無抵抗の白い姿は、刹那の後に血に染め上げられる事がもはや必定であった。

《御稜威輝く――…》

半眼に瞼を落とし、囁くばかりのその神詞で充分だった。やおら刺客どもは刃を取り落とし、喉を押さえもんどりうって地を転がり。各々、がばりと血――ではなく、大量の水を吐いて痙攣の後に喪神した。眸をようやくひらいてこの光景を眼にしたとき、いちばん驚いたのは白蓮自身でもあったのだが。
(死んではおるまいな)

…よく見れば死屍累々と見える倒れ臥す武士たちの喉の辺りが時折、ひくりと動くのを見るととどめをさした訳ではないらしい。山道ではないし、このような町外れならば朝にでもなれば誰かが助けるだろう…。
(――水鳴であったころには、気にしたことはなかったな。…)
自嘲の笑みを刻みつつ、歩み去らんとした先で、たったひとり意識を失っていない武者が眼に入った。二間ばかり向こうでこちらを向いてこそいるが、地に膝をつき怯えきったように身を屈め、一心に南無三法を唱え続けている。

こんな光景も、見覚えがある。
かれは娘への殺意を捨てていた為に、呪詛をまぬがれたのだ。…――昔そうしたように、そちらへ一瞥だけを投げかければ、ゆらりと朝霞のほのめく中へ踵を返してゆく。

はたして、娘の姿は神に見えたか、魔に見えたか。



(いずこかの城下町のはずれ、かなり最近。白蓮)
03 光のない戦場 古恋う20のお題
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