【天下布武】汝も神ぞや、遊べ
――恋しとよ――君恋しとよ、ゆかしとよ……
逢はばや見ばや見ばや見えばや――
他でもない遊郭の並びで地味な服装で居るとかえって目立つ、という理由で自主的に着ることは一生無さそうな華美な新造の衣裳を、人形の如くに着付けられている所為で動きにくい事この上なく。それでも、危険を承知で遊郭の一室に匿ってもらっているのだと思えば世話役たちにもたいした文句も言えずに…さしてひろくもない、花燭窓のある部屋で徒然をもてあまし、ひとり気晴らしに三味線の弦を弾くばかり。
ふと、路地の方から一風華やいだ笑い声が聞こえた。――まあ、場所が遊興の紅里であるのだから騒ぎなぞ珍しくもなんともないが。ちょっと楽しげに思えたので、まあ、世を忍び潜伏中の身とはいえ花燭窓のすみっこから覗くくらい、よいじゃろう…。
ひょいと覗くと、明るげな笑い声の輪の中心にいるのはたった一人のご老人らしい。
格子戸の向こうの遊女と掛け合いながらも、誘いの手には応じずどこの宿にもなかなか入らぬ様子を見ると、あれは冷やかしかなあ。――あ、放下師の釣り駒を奪い取った、ええ、あのご老人の方が巧いではないか。達者だのう…うん?さっきまで口げんかしている様に見えた用心棒が、ご老人に床几なんぞ持って来おった。なんと、酒盃まで持ってきた遊女もおるぞ。
…と、いつのまにか遊興地のお祭り騒ぎの主のようになっておる――…たいしたご老人じゃ、老いて尚粋人もあったものだのう。
……それにしても何やら、ひととなりに見覚えがあるような…?軽業師の技を叱りつけている声であるとか、彼らなんかよりも軽快なその身のこなしであるとか。うん、矢張りじゃ!こんなじいさまはそう何人も居ては困るぞ。真田どののところのお師匠じゃ。
――…角間の、白雲斎のじいさまではないか!
角間のじいさまがなんでこんなところで冷やかしを入れつつ持て成しさせているのかはわからぬけれども!わあ、角間の外で見かけるなぞ珍しいのう…なんだかまた外が賑やかな祭りのようになっておる。いいなあ、楽しそうじゃ。妾もあそびたい。
けれども、真田どのに怪我をさせた一件であるとか、いろいろとあるし…妾なぞがしゃしゃり出て行っても興を失うだけではあるまいか。うん、だいたい妾は逃亡者の身。(←今思い出した)
それにつけても、笛や太鼓までが続く喝采の賑々しさよ。見ればじいさまが田楽者より滅法器用に踊って見せておったりもするし、わああ、鳥目まで飛んできた。――…妾だって楽しい唄舞なら得意なのになあ!角間のじいさまとも遊びたいのになあ!
じっと大人しく見ているのにも耐えかねて、扇遊びの要領でそっちへと扇を飛ばしてやると――わたわた周りを歩いていた放下師の後ろ頭に直撃。笑いが一層巻き起こって狙ったわけではないけれども妾も可笑しくてふきだしたが、当のじいさまが、ついっと妾の方を指差して……言うたのじゃ。
やあ、天岩戸が開いたわいな。ほれ、そこの手力男、さっさと天照様のご入来の仕度をせんかいや
――はあ?……
い、否!じいさま!…いくら妾がお調子者で巫女であるからとはいえ、大御神とはッ!
それでは、このどんちゃん騒ぎの遊女と芸人と客の群れは、差し詰め磐屋戸の前で神集いするあめつちの神々か。呆れもするけれど職務上にも親しんだ神事の話で、そうじゃと思うと可笑しくもある。
い、厭じゃ!外にはわるい殿御ばっかりおるからの。出とうないぞ!
なんとな? 天照は、まだまだこの座興が足りぬと仰せじゃと。ほれ、酒が足りぬ、笑いが足りぬぞ。鼓はどうした?三味はどうした?
角間のじいさまがそんな事を言うから、どんちゃん騒ぎの連中みんなが変な期待でこちらを見ておる気もするし!妾はどうしたらいいのじゃ。――うう、じいさまの言葉に乗せられたものか管弦の遊びの音色がいっそう高くなっておるような気も……。
うう、参ったものじゃのう。さりとて妾も厳島の内侍、一流の舞芸者のすみっこに名を連ねる者であらば――せっかく歓喜のきわみにあるお祭り衆の興を殺ぐわけにもゆくまい。
まずは岩戸のその始め、隠れし神を出さんとて。
八百萬の神遊び――これぞ神楽の始めなる……
銀箔扇で顔を覆いつつ、場になぞらえた謡いを口にしつつ。部屋の唐紙を引き開け――そこは外へ続く小さな庭であるのだけれども、玄関であるまいし履物も置いていない。しかし少しばかり不満を言うただけで、どこぞの宿かの用心棒が(じいさまに手力男と言われた殿御じゃ!)恭しくも足元へ朱緒の下駄を差し出してくりゃった。
ほんとうに下駄まで差し出されると、こうも恭しく扱われるのも常になくおもしろい。厳島でつちかった舞芸者の血がもはや興ざめを起こすわけにはいかぬとばかり。妾は扇をひるがえし、神楽歌を続け。かつん、とわざと芝居がかった風情でゆっくりと仕掛け人たるじいさまのもとへ歩みを始めてゆくしかない。
磐戸を少し開き給えば――また常闇の雲晴れて、日月光り輝けば。
人乃面しろじろと見ゆる……
――…ちはやぶる、神も願い乃ある故に。ひとの値遇にあふぞ嬉しき。
当のじいさまの目前まで辿りつけば。お会いできたのは嬉しいが、これはいったい、なんたることじゃと面映ゆくも恨みがましいような思いを込めた眼差しと歌がひとつ。少し静まったような周囲の様子にまさか感嘆されているなどということも知らず首を傾げ、それではと一声高く楽しげな謡いに切りかえる。
我も神ぞや、遊べ遊べ遊べ遊べ
汝も神ぞや、遊べ遊べ遊べ遊べ……
あっという間に再び飲めや唄えの笛や鼓、曲芸師に遊女の舞の大騒ぎが路地一帯にわきかえったけれども、妾はこちらを見たじいさま――白雲斎どのから視線を外せなかった。
その眼に、光るものが見えた気がして。
さても…駿州の岩戸は…重かったわいのぅ…
……むこうの磐屋戸には、関守があってのう。
関守どころか鍵までかかっておった上に見張りまで居たのだけれども。今考えてもぞっとするが、人間頑張ればどうにかなるものじゃ。…それにしても武器が無かったとはいえ修行を重ねた武芸よりも、結局生まれ持った水の式で我が身を救われたあたり――やはり、神の力には及びもつかぬというものじゃ。
でも妾は今度こそちゃんと言うたぞ、
…お許しいただけぬものじゃから無理矢理出てきてしもうたけど。
――…遅すぎてしもうたじゃろうか。
何を言うかや。そなたの年で遅すぎることなど、そうもあることではないぞ?
ただ…お国元には、そなたを待っては、首を長うしておられる老爺もいると聞き及ぶ。
また信濃には西国の美酒を届けに来てくれればそれでよいわさ…
じいさまは、そう言って膝で泣いている妾の頭を撫でてくれた。
――前の、伊賀のときだって、妾はうまくゆく希望なんかそんなにあると思っていなかった。今度だって、絶望したものではない。のう、じいさま、今度の事が無事に片付いたら……その暁にはまた至上の甘露を大樽でもってゆくから、角間まで運ぶのに入道を貸してくりゃれ。
【遊興場/戸沢白雲斎さま】
・出典、催馬楽とか謡曲三輪とか。一部便宜上改変あり。
・あ。清海入道はダメだ途中で飲み干される!
・しかしその酒も厳島神社で奉納品だったものなんじゃないのか。どうなのか。
・そしてその界隈での徒名が天照大神になる……たいへんだ。天罰当たりそう。
・逃げている身だということはまた忘れてます。たぶんしたたか酔いつぶれて宿の女長者にしかられた。
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