【天下布武】天を見あげて願うこと
妾はそのとき、らしゅうもなく気が滅入っておったのだと思う。
或いは、先も見えぬ怯懦に支配されておったのかもしれぬ。
花火師の言を借りるならば、これが弥左衛門の『術中に嵌る』といったものか。
弥左衛門のからかいに打ちのめされて数日。気晴れはどうにも、しようもない。
思えばあのあと、ひなぎくに会えたのが救いであった。
あのまま、もしひとりきりで帰路について、妾は帰りつけたものじゃったろうか。
それくらいに心中暗鬱となっていた。さだめはそれこそ、五里夢中。
或いは、先も見えぬ怯懦に支配されておったのかもしれぬ。
花火師の言を借りるならば、これが弥左衛門の『術中に嵌る』といったものか。
弥左衛門のからかいに打ちのめされて数日。気晴れはどうにも、しようもない。
思えばあのあと、ひなぎくに会えたのが救いであった。
あのまま、もしひとりきりで帰路について、妾は帰りつけたものじゃったろうか。
それくらいに心中暗鬱となっていた。さだめはそれこそ、五里夢中。
吉川家中のとのさま、元春さまに会う。
――…妾にとっては、いろいろと難しいおん方じゃ。
服従せざるをえぬ家中のとのさまであり、吉川さまの外孫であり、同時に仇であり、……どうしたことか、『あにさま』でもある。
憎いのか、と問われれば、困る。
べつに元春さまのひととなりが憎いわけではない。
好意があるのか、と問われれば矢張り、困る。
そうじゃと答えるのは、どうにも先代さまや千法師どのへの裏切りとなるような気がしてならぬ…。
いくさ場では鬼神のごとく頼りになるお方だと重々知っておる。執務も、妾が脅しをかけたのが功を奏したかどうかはしらぬが、滞りない様子。
正直、陣中で落書きをなさるなとかこまいこと意外には非の打ち所を見つけるのが難しい。(したが、それも腹立たしいものじゃ!)
――そうして、このときも、いつもならば小言をつきつけてやりこめるのは妾のほうであるのに。元気がないなどと見抜かれてしもうた、未熟者じゃ…。
それに、こうして聞いておると元春さまは、先代の一件のことを案外気にしておられるのだな。…のうのうと、気にもかけず君臨するようなおん方であれば。妾も後腐れなくお恨みできたというのに。そんなことを思っても、詮無いことと思う。かつて妾にとって元春さまは悪人であれば都合が良かったけれど、事実はそうでない。
吉川のために動いてくださる方として、信じるに足ると今は思う。
だから。そうであるからこそ。
妾が伊賀の遁がれびとであると知れたら、吉川のこの先に災いを呼ぶかもしれぬ。
妾は吉川に居てもよいのだろうかと、元春さまに問うてみたかった。
ほんとうは、黙って出てゆくほうがよいとわかっていた、と妾が言えば。元春さまは驚いた様子で、皆が悲しむと言い、じいさまも驚いて倒れると仰る…。
すこし、安堵した。
――…つまり妾は、出て行かなくてよい、と言うて欲しかったのじゃろうなあ。結論は。
本当は、出てゆきたくなどないのだもの。
吉川さまのところをはなれて、どこに妾の居場所がある。
厳島にお仕えしているのだって…帰る場所として吉川さまがあらばこそ…。
とはいえ、こともあろうにとのさまの前で、見苦しいまねをしたと思う。(情けなや…)
思えば矢張り、おかしなお方じゃ。
妾を妹と呼び、優しゅうしてくださる。
……養子縁組み騒ぎのときには、妾も色々言うたし、したのにな…。
(わざと苦い茶を出したり具足を隠したり箒に手ぬぐいをかけて立てておいたり…)
『あにさま』などとは、面映ゆくて口には出せぬ。けれど、不快などではない。
妾も、いつのまにこの方に対する棘を失っていったものであろう?
……いつか、謝りたいと思ってはおれども、なかなか口に出せぬものじゃ。
気安うしてくださるその心地よさの一方で、ひどく苦しくもある。武骨でひどく気難しい興経さまじゃったが、気が向けば妾と千法師と遊んでおるところに団子を買うて来てくださることもあった。……そう、そんなこともあったのじゃ…。
それは。あの騒動のなかで元服を待たずに身罷られた、いとけない千法師さまのことを忘れたことはないけれど、ただ、この悲しみはもう、憎しみでは――ないのだから。
この方にお仕えしてもよかろうか、厳島明神よ。
今の妾でもお役に立てるじゃろうか。
元春さまも、ほんとうは苦く思っておられるのではなかろうか…?
――いつか、この身が吉川の災いになるならば、その時は。
元春さまが妾を斬ってくださると――…
約束してくださった。
……どれほど安堵したものか、誰が知るであろうか。
とのさま以外に、こんなことを託せるおん方は居ない。相応しいおん方も居ない。
元春さまに斬られるならば、けして不名誉にはならぬもの。
うれしかった。
妹みたいなものであるから、斬りたくはない、と言うてくださったけれど、ほんとうに枷となるときには…きっと一刃をくださるものと信じておる。
吉川にいてもよい、とは、そういうことであるのじゃな?それならば、得心した。
戸惑うのをやめて吉川におることにする…。
宮からの帰り道。そう言うと、困ったように笑う元春さまの表情は、ひどく悲しくも見えた。…何故であろ…?
繰り返し、願う心は、息をするにも同じこと。
いくさに勝てますように、皆が無事であるように、この平穏が壊れませぬように。
悲劇は二度と、繰り返されませぬように。
泡沫。矛盾をはらみながら、胸の内にうまれてはかなく消える。
--------------
めんどくさいしがらみってなかなか断ち切れないものですね…。
あ、元春さまが素敵過ぎて余計なフラグが立ちそうで危険です(笑
だいきらいだって言ってたくせに…、白蓮…
| ホーム |

