【天下不武】憂しの影法師
雪やあられか大宮の
月の宮居の侘び住
世を憂しとする影法師
憂しや憂し
酔うも憂し 唄うも憂し
恋うるも憂しや影法師
気が滅入るとき。たとえば、お気に入りだった飴がいつの間にか小唐櫃のなかで空っぽになっていたとき。…いつの間にそんなに食うてしもうたか。妾は甘いものは大食いせぬのだけれど。
これを買う為にはまた、佐和の山の城下までゆかねばならぬ。…ううむ、さすがは佐和のとのさま(三成どの)の一押しであった品、美味い。これを選んでいるときに、左近どのとも会うたなあ。三成どのはすでに菓子を山と抱えておったから、とてもうろたえておられたものじゃ…。
……妾も調子に乗って食ったかもしれぬけれども、元春さまの部屋に土産(飴ばっかり)を、気前よく置いてきすぎたかもしれぬ。それは、…ほらな、仔狐どのも好きかも知れぬし(だから、ふたり分…)。
月の宮居の侘び住
世を憂しとする影法師
憂しや憂し
酔うも憂し 唄うも憂し
恋うるも憂しや影法師
気が滅入るとき。たとえば、お気に入りだった飴がいつの間にか小唐櫃のなかで空っぽになっていたとき。…いつの間にそんなに食うてしもうたか。妾は甘いものは大食いせぬのだけれど。
これを買う為にはまた、佐和の山の城下までゆかねばならぬ。…ううむ、さすがは佐和のとのさま(三成どの)の一押しであった品、美味い。これを選んでいるときに、左近どのとも会うたなあ。三成どのはすでに菓子を山と抱えておったから、とてもうろたえておられたものじゃ…。
……妾も調子に乗って食ったかもしれぬけれども、元春さまの部屋に土産(飴ばっかり)を、気前よく置いてきすぎたかもしれぬ。それは、…ほらな、仔狐どのも好きかも知れぬし(だから、ふたり分…)。
気が滅入るとき。たとえば、おのれの未熟さを知るとき。
それは、何も剣のことばかりではなく。
気が滅入るとき。たとえば、おのれが伊賀者にとって死罰に値する過去を背負うと知ったとき。
もはや笑うてもおられぬが。うすらぼんやりとした記憶しかもたなかった妾には晴天の霹靂、もはや、宿星の理不尽さに泣く気すら起こらぬ。……真田どのは、もっと妾がじいさまに甘えても良いのだと言ってくださったが、…こればかりは妾の業だものな。
それどころか、本来ならば今までの恩に感謝しながらただ静かに消えるべきであったかもしれぬ…。
どうやら、前よりことに気付いていたらしい、水月どのを疑うた時もあった。
それも、お門違いだとわかっておる。だいたい、そうしようと思うたならば、…あのとき何ら物に気付かずに居た妾を狩る方法はいくらでもあったはずなのじゃ。
ただ去ることが出来ぬのは妾の都合にすぎぬこと…、いま、じいさまを失うのだとしたら。きっと、道順を失ったときのむかしの妾――水鳴とおなじく、命どころかすべてを失うに等しいことになる。…吉川のじいさまの拾い児という、かそけく絆を握ったまま、追っ手に討たれて死ぬ方がまだましじゃ。
否、救いを求めたならば城へ隠して守ってくださるのかも知れぬ。
じいさまは優しいおん方であるから。
……然れども、それでどうなる。いつか、あれらは諦めるのか?
一人一人と、守護に立つ吉川の者が身代わりに死んでいくのを見なければならぬかも知れぬ。
ばかな。 ――それらは、妾の為につかう命ではない。
すべてを秘したところで、犠牲は出ぬとも限らぬ。ああ。
だから、元春さまに、…妾を斬れと言うたのに。災いとなると言うたのに。
妾の千里眼も凶兆を見定めるみかがみの眞白、あの水鳴の通力が、まだ残っておったのであろうか。
はたして、そんな折にふたたび居向かい会うた、城戸の弥左衛門がおそるべき契約を妾に迫る。
妾たちの上忍、藤林長門守は必ずしも逃散した遁れ者とは思うておらぬという。
さればこそ追っ手を掛けずに、吉川に居ることを黙認してもよい、とさえ。
相手が謀術の奇手、大嘘つきの弥左衛門であると知っているとはいえ――これは、こればかりは、心を動かすなという方が無理じゃ。積まれた金銀よりも、危急をえた今、じいさまのそばに変わらなく居られるというそれだけのこと以上に――妾を動かすものはない。求めるものはない。
見透かしたように弥左衛門が嗤う。
ただ、妾が伊賀に帰順す、その盟約に、…
狐を殺せと、あ奴は言うた。
伊賀去った、あの神の仮姿をいうのではない。
あの男が『狐』と呼び続けるのは、いつでもあの、…六依という名の花火師じゃ。
もともと、あ奴は吉川にあだなす二心があって元春さまに近づいたのだという。妾のことさえ、本心では疎んじているという、――あぁ、弥左衛門、得意の詐術か。それとも詐略があったのは、あの花火師が先であったか?…問うも詮無い。どうせ、伊賀者の言い分などなにも誰もあてにはならぬ。
妾は、どうすればよい。
吉川を去るか。吉川に執着するばかりに、大恩あるお家に仇なす災いを呼ぶか。使い番と呼ぶには余りに物騒なあの、弥左衛門ひとりすら倒せるか知れぬというのに、無謀であろうとも伊賀のすべてへ立ち向かうて死ぬか。遠くへ逃げたところで、たいした意味も最早あるまい。
それとも、――本当に保身の為に妾を守るとさえ誓うてくれた、あの知己を討つのか?
さあて、逃げ場なくして虎と狼にかこまれ、大事なたからものを奪われて、朋を殺せと急かされる。
その知己さえも、その時が来さえしたならば妾を迷わず殺すかも知れぬ。
……こうも追い詰められれば世の女子は助けてくりゃれと嘆いて涙をこぼすのだろうかなあ。
……。
………、
したが。確かにあれらは化生かもしれぬが、…――妾もまた化生なのじゃ。
憂しの影法師:戦国が終わる頃に京で流行ったとされる、たいへんやる気が失せる感じの今様。ほんとは大阪の陣ぐらいの頃だって司馬さんが言ってました。
それは、何も剣のことばかりではなく。
気が滅入るとき。たとえば、おのれが伊賀者にとって死罰に値する過去を背負うと知ったとき。
もはや笑うてもおられぬが。うすらぼんやりとした記憶しかもたなかった妾には晴天の霹靂、もはや、宿星の理不尽さに泣く気すら起こらぬ。……真田どのは、もっと妾がじいさまに甘えても良いのだと言ってくださったが、…こればかりは妾の業だものな。
それどころか、本来ならば今までの恩に感謝しながらただ静かに消えるべきであったかもしれぬ…。
どうやら、前よりことに気付いていたらしい、水月どのを疑うた時もあった。
それも、お門違いだとわかっておる。だいたい、そうしようと思うたならば、…あのとき何ら物に気付かずに居た妾を狩る方法はいくらでもあったはずなのじゃ。
ただ去ることが出来ぬのは妾の都合にすぎぬこと…、いま、じいさまを失うのだとしたら。きっと、道順を失ったときのむかしの妾――水鳴とおなじく、命どころかすべてを失うに等しいことになる。…吉川のじいさまの拾い児という、かそけく絆を握ったまま、追っ手に討たれて死ぬ方がまだましじゃ。
否、救いを求めたならば城へ隠して守ってくださるのかも知れぬ。
じいさまは優しいおん方であるから。
……然れども、それでどうなる。いつか、あれらは諦めるのか?
一人一人と、守護に立つ吉川の者が身代わりに死んでいくのを見なければならぬかも知れぬ。
ばかな。 ――それらは、妾の為につかう命ではない。
すべてを秘したところで、犠牲は出ぬとも限らぬ。ああ。
だから、元春さまに、…妾を斬れと言うたのに。災いとなると言うたのに。
妾の千里眼も凶兆を見定めるみかがみの眞白、あの水鳴の通力が、まだ残っておったのであろうか。
はたして、そんな折にふたたび居向かい会うた、城戸の弥左衛門がおそるべき契約を妾に迫る。
妾たちの上忍、藤林長門守は必ずしも逃散した遁れ者とは思うておらぬという。
さればこそ追っ手を掛けずに、吉川に居ることを黙認してもよい、とさえ。
相手が謀術の奇手、大嘘つきの弥左衛門であると知っているとはいえ――これは、こればかりは、心を動かすなという方が無理じゃ。積まれた金銀よりも、危急をえた今、じいさまのそばに変わらなく居られるというそれだけのこと以上に――妾を動かすものはない。求めるものはない。
見透かしたように弥左衛門が嗤う。
ただ、妾が伊賀に帰順す、その盟約に、…
狐を殺せと、あ奴は言うた。
伊賀去った、あの神の仮姿をいうのではない。
あの男が『狐』と呼び続けるのは、いつでもあの、…六依という名の花火師じゃ。
もともと、あ奴は吉川にあだなす二心があって元春さまに近づいたのだという。妾のことさえ、本心では疎んじているという、――あぁ、弥左衛門、得意の詐術か。それとも詐略があったのは、あの花火師が先であったか?…問うも詮無い。どうせ、伊賀者の言い分などなにも誰もあてにはならぬ。
妾は、どうすればよい。
吉川を去るか。吉川に執着するばかりに、大恩あるお家に仇なす災いを呼ぶか。使い番と呼ぶには余りに物騒なあの、弥左衛門ひとりすら倒せるか知れぬというのに、無謀であろうとも伊賀のすべてへ立ち向かうて死ぬか。遠くへ逃げたところで、たいした意味も最早あるまい。
それとも、――本当に保身の為に妾を守るとさえ誓うてくれた、あの知己を討つのか?
さあて、逃げ場なくして虎と狼にかこまれ、大事なたからものを奪われて、朋を殺せと急かされる。
その知己さえも、その時が来さえしたならば妾を迷わず殺すかも知れぬ。
……こうも追い詰められれば世の女子は助けてくりゃれと嘆いて涙をこぼすのだろうかなあ。
……。
………、
したが。確かにあれらは化生かもしれぬが、…――妾もまた化生なのじゃ。
憂しの影法師:戦国が終わる頃に京で流行ったとされる、たいへんやる気が失せる感じの今様。ほんとは大阪の陣ぐらいの頃だって司馬さんが言ってました。
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