ぬばたま
手折れぬはちすは、白妙の。 神の花弁を、あけに染め。
DATE: 2008/04/04(金)   CATEGORY: 独語り録
【天下布武】きずあとの痛み・弐
そうじゃ、吉川に隠している事がもう一つある。
忠を叫びながら、心に乱をいまだ隠している。先代さまとその御子の謀殺に対するこの歎き、怒り、かりたてられる殺意――これに終結をむかえなければほんとうに吉川の臣には、兵にはなれぬ。
なんとしても、どんな危機があろうとも、妾は元春さまとたたかわねばならぬ。


だから、元春さまに道場での立会いを願った。…抜き身の、いつもの得物で、と付け足して。
おそろしく不敬な願いであり、平常の稽古にならぬ事は明白であろうし、そこで直接元春さまからでなくも疑われ、何がしかの罰を受けるとしても。それでよいかと妾は思うた。…蹴りをつけるためにはなさねばならぬ事だもの。

けれども、その細い月の散り始めの桜の夜、元春さまはたったひとりで現れた。


いくさの時の装束で、立会人も置かれずに宜しいのかと妾が問えば、――今回のこと関しては誰にも言ってこなかった、と笑っておられる。
何を意味しているのかは知らぬ。家臣がうるさく騒ぐのが迷惑なのか、…或いは既にことを読んだ元春さまが、とうとう秘密裏に妾を討つ気になったのかもしれぬとも考えた。
仕方ない。妾は逆臣じゃ。先代当主への義を立てるため、元春さまの御身を狙った事は何度もある。そのたびに失敗しては、他の家臣に止められては、歯噛みをしていただけのこと。少しずつ、本意ならずも絆されてぬるんでいく今でさえも――血塗れの隠居先のありさまを、刃をつぶされた興経さまの刀を思い出せば。…

先代さまを憤死に追い落とし、幼き千法師さまのお命までもを奪いしものに災いあれ――…こなた様さえ、来なければ。
……元春さまご本人に、こうまで憎しみをぶつけた事は、ない。
今の吉川の事を思って、じいさまの事を思って、とのさまのひととなりはけして悪しきものではないのだからと、耐えた。…けれど。
打ち合いはいつしか斬りあい同然となり、元春さまの撃剣はもとより、あの気迫には平時の妾であれば立ち向かう事が出来なかったはずじゃ。いくさ場で、肩を並べて敵に立ち向かう時とは訳が違う。
元春さまの刃が屠ろうとするのは今、妾であり、妾の刃もまたあるじさまを狙った。

妾が先代さまのことに対する怒りを口にするのもはじめてならば、元春さまが先代さまのことをあんなふうに言うたのも初めてだろうと思う。…うん、今まで聞いたことがない。
妾には先代さまへの悪辣にもひとしい、厳しい言葉にも聞こえたが。…誤魔化しもなく、答えてくださったのじゃとも思う。あの時はそんな事を考える余裕はなかったけれど。

妾の刃は、元春さまに受け止められろくろくに届かぬ。
それどころか、元春さまの技になぎ倒されて、言の葉に気圧され、言い返す言葉すら震える始末。
……此処でただ泣いておったら、そこらの女子以下というものじゃ。そうであろ、興経さまの剣はもっと怖かった!
がむしゃらに振るわれた刃を見切られ、受けられた刃は力で押し切られ、元春さまも無傷ではなかったが妾は髪の一束を切り落とされて(これは弾みでというものだと思うが)、脇腹をしたたか打たれて床に転がった。喪神間際の意識で、その気ならば殺されても仕方ない無様を晒し。剣を離さなかったのが奇跡であるほど。

何もかもが可笑しくて。…ああ、矢張り、剣で勝てる道理などなかったのに。
ぼんやりした意識の向こうで、とのさまがひどく当惑した顔でこちらに手を差し伸べたのが見えた。
……このおんかたは優しいのが冷徹なのかわからぬ。
この期に及んで妾を斬らぬという。…とのさまのすがたも、傷だらけになっていた。ああ、妾でもまったく歯が立たないというものでもないのだな……、とはいえ妾はもうろくに動けぬし…元春さまがはじめから本気であれば、瞬殺で終わった話かもしれぬけれど。

……ずっと、おそれて回避し続けていた争いじゃ。敗北は受け入れようと思う。
指をついて平伏し、非礼を詫びた。言葉でどうにかなるものではないけれども、けじめはつけておかねばならぬ。花火師の命を狙うたこと、身の上を知ってなお吉川に黙っていたこと、近く伊賀にむかう心算であること――妾自身が知っていることは洗いざらい語り、驚いた様子ながらも、とのさまはそれを聞いていてくださった。

何一つ、不快な様子もみせずに。
妾の居場所をあけて待っているから、無事に帰って来いと――言うてくださった。


………。
どうやって部屋まで戻ったのか記憶がない。手当てがしてあったから、侍医のところまでは行ったのだと思う。
……翌朝、痛むばかりのからだを起こして。取り上げられもせず枕の傍の唐函の中に置いたままの、妾の小太刀。抜いてみるとその白刃に、元のかがやきを濁して、ほんの少し、かすめたばかりの元春さまの血のいろがついていた。――…ああ。妾の技量ではほんとうに、これが僥倖のものであるから、どうか褒めてはくださらぬか。興経さま。これで、御心をやすらげてはくださいませぬか。妾はがんばったぞ。…
妾だけは、吉川のその色を塗りかえられてゆくさなかでも我を張り通したのじゃぞ。あたらしいご当主にも刃を取って立ち向かったのじゃ。……ああ、興経さまのために元春さまに刃向かうものは、きっと妾が最後であろうと思う。
もしも次の者がいるならば、阻む者こそが妾自身であろう。


ああ、妾は自由じゃ。今はもう、何も偽ることがない。


いいかげんちゃんと一人語りを書こうとしたら、むやみに長くなるトラップ。吉川関連は雑談が多すぎる。共通点として白蓮と興経さまはどうやらこういう、過激な方法でしか自己表現できないらしい。問題児。…
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